落チ語リのネタ帖
「東海道四谷怪談」でおなじみの鶴屋南北。
歌舞伎の台本を書く狂言作者として知られているこの名前は、もともと「道化方」と呼ばれる、おかしみを演じる役者の名跡だった。
なぜ作家である彼は道化方の名を継いだのか?
史実と創作が曖昧に交錯する、そうだったかもしれない物語。
上方のほうが文化でも酒でも江戸より上だとされていた時代。
歌舞伎の世界では、滑稽を専門とする「道化方」という役柄が
ゆっくりと衰退していった頃でもあった。
がんばるしかない。でも、どうしたらいいかわからない。
道化方としての矜持と己の無力さの間で揺れる男たちは、
それでも飄々と前を向きせめて誰かの一時の気晴らしになりたいと
今日も舞台に立ち続ける。ある異色の狂言作者を巻き込んで。
金なし、仕事なし、家柄もなし。徹底的に何ものでもない男・町田房蔵が海から拾い上げたのは、自称メリケン帰りの出島松造。助けてもらったお礼と称して連れて行かれた遊郭で、房蔵は唐人口の遊女・風花に心を奪われる。無理めの片想いを成就させるべく、出島が授けた秘策とは?
たった6行の史実から立ちのぼる、日本初のアイスクリーム屋さんの物語。
日本で最初の随筆は、絶望の底にいる生涯ただひとりの恩人にむけた精一杯の応援歌だった―――
知性を武器に女性の地位を向上させるべく、好奇心旺盛だが気弱な部分もある清少納言を、たまに厳しく、おおむね優しく育て上げた中宮定子。このふたりの、師弟とも親友ともとれるつながりを軸に「枕草子」成立までを描く。
江戸時代の最初期。戦国の世と太平の世の狭間でふたりの忍者崩れの盗賊が出会った。
時代に選ばれ生き延びて古着商の元祖となり日本橋富沢町の町名の由来となった鳶沢甚内と、乱世の忍びを起源とする最後の盗賊として刑場の露と消え、今も瘧を治す神様として祀られている向崎。何もかもが正反対だったふたりの“甚内”が織りなす出会いと別れの物語。
美人画の名手・喜多川歌麿が残した巨大肉筆画「雪月花三部作」。15年の絵師人生の、最初期・絶頂期・最晩年と、 それぞれの節目に描かれたこれらの絵はすべて、栃木のとある豪商からの依頼によるものだった。
大切な人ほどうまく大切にできない。そんな不器用な人間模様を描いた落チ語リ。
日本最初期の写真師・下岡蓮杖は、浅草に移り住み、油絵やったり玉突屋をはじめたり。写真とはあからさまに距離をおこうとする姿に納得のいかない息子の東太郎は、撮影の予約を方々から取ってきて蓮杖を写真館に缶詰にしようとするが―――
思春期の本気といい大人の本気がぶつかり合う、風変わりでちょっぴり切ない親子喧嘩のお話。
日本最初期の写真師・下岡蓮杖が、妻・お美津に尻を叩かれながら独学で写真術を習得し、写真館を繁盛させるまでの物語。
「やらせ写真の元祖」「ほらふき蓮杖」と揶揄され、「写真は妖術だ」と気味悪がられてもなお写真にこだわったその訳とは―――?
横浜の寺で英語の勉強に励む西洋かぶれの青年・真鍋晃は、後に小泉八雲となるラフカディオ・ハーンことへるんさんと出会う。西洋人の友達ができたと有頂天になった晃は、横浜周辺の観光地を案内するだけでなく、教師の職を得たへるんさんにくっついて島根まで行ってしまうのだが―――
生まれ故郷に居場所を見いだせなかったふたりがそれぞれに見いだした「帰ル場所」にまつわる物語。
鎌倉幕府の第三代将軍・実朝は、歌と酒にひたってばかりのボンクラ将軍。権力を我がものとせんとする叔父・義時の策略にはまり、長年の忠臣であった和田一族に反旗を翻されてしまう。後に「和田合戦」と呼ばれることになる激闘を制した後に、栄西禅師から供された一服の茶が教えてくれたこととは―――
内海兵吉は日本初のパン屋さん。もとは饅頭屋の跡取りダメ息子。縁側で寝てばかりの兵吉を見かねた父が、よくできた弟と代わりばんこで店の饅頭を作るよう指示しても、一向に腕が上がらない。迷走が続くある日のこと、ささいなことをキッカケに殴り合いの兄弟ゲンカになり、兵吉は姿を消してしまう。兵吉はどこにいったのか?饅頭屋を継がなくてよかったのか?そもそもパンとはどうやって出会ったのか?
置かれた場所では咲けなかった男が、新しい居場所へたどり着くまでの物語。
美人画の名手・喜多川歌麿は、版元の蔦屋重三郎にその才能を見いだされ、二人三脚で当代随一の絵師への道を駆けあがっていた。しかし、蔦屋が東洲斎写楽という絵師を売り出し始めてから、ふたりの歯車は少しずつ狂い始めていく。
彩遊戯の落チ語リ旗揚げ作品にして、唯一のふたり語り。